小山地区医師会
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小山地区医師会の沿革                執筆 関根政男・塚田錦治

1.はじめに

 現在の小山市の街並を形成するその本幹は、奥州街道乃至は日光街道の宿駅としての小山宿である。日光街道は江戸日本橋を起点として、千住宿から幸手・古河を経て、野木・間々田・小山・大町新田・小金井・石橋・雀宮・宇都宮、・・・今市・鉢石と合計21 宿、36里12町余の路程である。天保14年(1843)における小山宿は、石高2233石、家数176、人口総数1392であった。昭和29年に小山町と大家村が合併して小山市となり、同38年に間々田町・美田村、同40年桑絹村が小山市に合併し、現在の小山市となっている。

2.下都賀郡市医師会の名称の変遷

 明治元年(1867)、明治政府は文部省内に「医務課」を設置、国内各地に医学校を設置し、明治16年には「医師開業免許制度規則」を発令、医業は開業免許制時代に入る。
 明治16年に県からの指示があって、栃木県下に9ブロックの郡開業医会の設立があり、下都賀寒川郡医会はその内の一つとして誕生した。明治21年の町村制発布により寒川郡が廃止となり、下都賀郡医会という名称に変わった。更に昭和18年に、政府は戦時下医療制度の統制を強化すべく、国民医療法を制定し、医師会は日本医師会と道府県医師会の二本立てになって郡市医師会は廃止、県医師会の支部となる。
 昭和20年8月15日終戦。その3年後、下都賀郡医会は、昭和23年1月15日に下都賀郡市医師会という名称で再登場し、初代会長に栃木市の斉藤義直氏、副会長に栃木市の粟田口四郎氏と小山市の塚原隆二氏が就任された。

3.小山医師会の生い立ち

 明治・大正期にあって、小山地域の開業医たちが下都賀郡市医師会に所属する小山医師会を組織して、小山地域のみの会員でも医師会活動をするようになったのはいつのことか不明である。『県医師会史』によると、明治42年の下都賀郡医会の会員数は81名。その内、小山地域(小山町、生井村、寒川村、中村、瑞穂村、豊田村、国分寺村、間々田村、野木村、大谷村)に住む会員は23名を数えた。
 その頃の小山町在住の下都賀郡市医師会員は,佐藤次郎、木村要吉、斉藤常五郎、横山元像、松山喜又、小山丈平の6名であった。元小山地区医師会長の鈴木常千代氏が小山に眼科医院を開業したのが昭和11年で、氏はその年に小山医師会に入会している。そのとき小山医師会の会員は、塚原隆二、小山丈平、福田三郎、佐藤次郎、関 勇、松岡千恵子、平間誠一、野中藤作、青木 ? の9名、鈴木氏の入会で10名となり、間もなく耳鼻科の塚本倫三郎氏が入会して計11名であったという。
 塚原隆二氏がその会の会長で、その前の会長は誰だったのかは不明。おそらく佐藤次郎氏だったと思われる。佐藤次郎氏については、“明治44年の県医師会役員の理事を勤め、また、大正9年、県医師会評議員、昭和3年には日本医師会議員、昭和7年と9年には二回に亘って、県医師会総会の会長選挙で会長に就任されている”との記載が県医師会史にあり、小山地区医師会会長は、初代は恐らく佐藤次郎氏、次いで塚原隆二氏、鈴木常千代氏、そして昭和26年から30年までは福田三郎氏、昭和30年から36年まで再び塚原隆二氏、昭和36年から鈴木常千代氏が二度目の会長職を継いだのである。
 塚原隆二氏の二度目の会長期に、昭和32年に脳出血で倒れ、鈴木常千代氏が会長代理を務める。鈴木常千代氏の第2回目会長職は、昭和36年から同61年までで、会長代理の期間を加えると、まさに彼は四半世紀を越えて29年間に及ぶ長期間の会長職を務めた。
その間、医師会にとって重大な事件が頻発した。

4.その頃の小山医師会をめぐる社会情勢

 その1としては、昭和26年からの医薬分業の問題とそれに伴う新医療費体系の反対闘争であり、その結果、36年2月の『全国一斉休診』の敢行があり、その2は、昭和46年の日本医師会の保険医総辞退である。そして、その3は独協医科大学ならびに自治医科大学の同じ下都賀郡市内の開校であり、それらの付属病院の開院である。
 昭和46年7月1日には日本医師会が保険医の総辞退を決行。総辞退は1ヶ月間続き、佐藤栄作首相・斉藤 昇厚相との会談で12項目の合意があり、7月いっぱいで収束した。
 二医大問題については、独協医大設立の連絡が郡市医師会にあったのは昭和45年8月で、自治医大のそれは同46年2月であった。郡市医師会では“栃木県が全国で下から三番目に医師が少ない”ことから独協医大建設には賛成していた。しかし、その後、自治医大建設の話が出て事態は変わった。昭和46年5月31日、下都賀郡市医師会臨時総会を開いて自治医大設置反対を表明し、県当局者の責任を追及、学校医・予防注射・乳児検診、その他の県下厚生行政上のあらゆる協力をボイコットするという手段に出た。この闘争は、1年9ヶ月続いて、日医の武見会長の仲介があって解決した。
 鈴木常千代氏は、塚原隆二氏が二度目の会長職に就くと副会長として塚原氏を扶け、さらに塚原会長が32年に脳出血で倒れると会長代理として上記諸問題に下都賀郡市医師会長として先頭に立って奮闘対処した。この大問題を抱えつつも彼は彼の会長在職中に二つの大事業を敢行している。小山医師会病院と富士見台病院の設立である。

5.小山医師会病院と富士見台病院

 小山医師会病院の設立は同じ下都賀郡市医師会所属の栃木医師会のアイデアを真似たもの。下都賀郡市医師会病院に対して、下都賀郡市第二医師会病院が公式名で、通称小山医師会病院と呼ばれていた。栃木市にある下都賀郡市医師会病院は、昭和28年9月21日に主として栃木医師会が創設した病院で、全会員のオープンシステム制を取入れて日本全国で初の試みとして設置され、現在、日本全国で約70ある医師会病院のその第一号である。
 鈴木常千代氏は基金の審査をしていて、栃木市の諸先生より小山市の先生方の医療水準が遥かに低いことに気付いた。“これは大問題だ。栃木のような医師会病院を小山にも作り、開業医たちが共に勉強しなければ将来大変なことになる”とそう思った。氏の無私の働きがあって下都賀郡市第二医師会病院は昭和36年10月4日開院の運びとなる。
 この小山医師会病院は、小山市花垣町1−16−13に敷地3,960㎡の木造モルタル二階建一棟、病床55の病院であったが、昭和39年、労働省が労災病棟を委託してきて鉄筋コンクリート二階建病棟一棟建坪868㎡50ベットが併設され、昭和47年には南病棟鉄筋コンクリート二階建一棟ベッド数67床を増設、更に昭和50年には西病棟として老人病棟の同じく鉄筋コンクリート二階建ベッド数50を増設するという、一時は小山市立病院を吸収するかのごとき発展を見せたが、昭和47年からの相次ぐ各科専任医師たちの流失、折からの看護婦不足、国中の人手不足は一般職員までにも及び、それらの補充がきかぬままに、昭和54年12月31日をもって市立病院に吸収合併されることになる。
 もう一方の富士見台病院の建設は、医師会が精神病院を持つ意義がわからないが、昭和35年5月3日以前に下都賀郡市医師会において小山市内に小山医師会病院設立と並行して精神病院設立のことが論議されている文書があり、鈴木常千代氏自身も「私は、戦後は精神病患者が多くなると考え、医師会病院の代りに精神病院を建てることを考えていた」と時折話の端に語っていた。下都賀郡市医師会は関与せず小山医師会に所属し、その開院が昭和44年2月8日であること、その後は発展を続け、平成元年6月17日には創立20周年記念祝賀会を開き、つい最近の22年4月10日には、外来管理棟ならびに病棟の改築工事落成の記念祝賀会が開催されていることを記載するにとどめる。

6.鈴木会長引退後の小山医師会

 話を本筋に戻す。小山医師会長・鈴木常千代氏は昭和61年2月の定期総会で会長職を引退する旨表明する。後任には鈴木氏の要望もあって、古谷一夫氏が就任した。古谷新会長より鈴木前会長を会の最高顧問に推薦。会員全員賛同した。古谷一夫氏が昭和61年より平成2年まで、長 良則氏が平成2年から同4年まで、明石康三氏が平成4年から同8年まで会長職を務め、その後の近藤洋一氏会長の時に明石康三氏の構想である小山医師会の下都賀郡市医師会からの分離独立を果たすのである。下都賀郡市医師会は、県南部の広大な地域に肥大化し医療圏の違いもあり、末端の会員への情報伝達、会員同士の交流の困難さに問題が生じていた。分離独立は下都賀郡市医師会の好意もあって、穏便に成し遂げられ、ここに小山地区医師会(野木町、小山市、石橋町で現下野市、上三川町)が誕生する。
 誕生した現在の「小山地区医師会」は、「下都賀郡市医師会」から小山医師会(旧小山地区医師会、同野木支部、旧下都賀郡市国分寺町医会)と旧下都賀郡市石橋町医師会が分離し、以前は宇都宮市医師会に属していた上三川町や旧南河内町の医会が合流して形成されたものである 。

(ここまで関根政男 記)

7. 新生小山地区医師会

 平成14年4月、当医師会は下都賀郡市医師会から分離独立を果たした。小山市・石橋町・国分寺町・野木町を擁し小山地区医師会(会員数178名)と命名された。同年上三川医師会が宇都宮医師会から離脱し小山地区医師会に合流した。
 初代会長は近藤洋一氏(平成26年2月ご逝去)、副会長に土谷博之氏・松岡淳一氏が就任し現在の小山地区医師会の礎を築かれた。
 さらに平成18年1月には下野市(石橋町、国分寺町、南河内町)の誕生に伴い、旧河内町の医師会が、宇都宮医師会から小山地区医師会に編入された。
 以降、小山地区医師会の役員・会員数を表1に示した。

  表1: 小山地区医師会の役員・会員数 (Excel形式 17KB)

 平成20年4月、小山広域保健衛生組合による小山地区夜間休日急患センターが開設の運びとなり、当医師会は広域組合との診察業務委託契約により、全員参加による時間外診療業務を開始した。当時の会長・鶴見信之氏は、全国にも類を見ない全員参加のシステムで医療機関の負担軽減に寄与し、また地域医療連携の推進力となった。
 その他、小山地区医師会の主な事業内容は以下のとおりである。
① 地域保健活動:(生涯健康)を目標とした市民公開講座を2市2町で各々開催し、啓発活動を行う。
② 学校医活動:地区内71校と県立学校の児童生徒の健全育成、教職員の健康管理。
③ 産業医活動:地域関連企業の職場環境の衛生管理・安全衛生の向上に努める。
④ 各種予防接種事業。乳幼児健康診断。
⑤ 在宅当番医:消防との連携による時間外救急医療活動。

  平成25年4月、一般社団法人へ移行。
  平成27年3月、医師会事務所を小山市花垣町から小山市神鳥谷の小山市健康医療介護
  総合支援センターの隣接地に移転。念願の新しい医師会活動拠点施設を得た。

(ここまで塚田錦治 記)